松山城の歴史年表

三之丸から見たお城山
和暦 西暦 城主 松山城に関する事項
文禄四年 1595 加藤嘉明 伊予正木で6万石を領する
慶長五年 1600 関ヶ原の戦い
慶長六年 1601 幕府から勝山での築城の許可が下りる
慶長七年 1602 普請奉行・足立重信が、築城開始
勝山山頂の2つの峰を崩し谷を埋めて平地を作る
湯山川を伊予川に付け替える
城下町建設。三之丸に武家屋敷、北に寺院、東南西に商家
慶長八年 1603 一応の完成を見て、正木から移住
城下を松山と称する(現在の松山市の原型が出来上がる)
慶長十年 1605 五層六階の天守完成
寛永二年 1625 足立重信没
寛永四年 1627 工事終了
会津へ転封
蒲生忠知 松山に入部
寛永八年 1631 加藤嘉明没
寛永十一年 1634 蒲生忠知没
寛永十二年 1635 松平定行 松山に入部
寛永十九年 1642 天守を三層三階に改築(徳川氏に遠慮、または、本壇の地盤が脆弱だったなどの説あり)
天明四年 1784 松平定国 天守に落雷があり、本檀を焼失
文政三年 1820 松平定通 再建開始するも財政難で進まず
弘化四年 1847 松平定穀 再建再開
嘉永五年 1852 本檀再建完了
安政元年 1854 落成式典(この時の天守が現存)
明治三年 1870 三之丸焼失
明治五年 1872 二之丸焼失
明治六年 1873 廃城令で松山城も廃城と決まる(全国の多くの城が取り壊される)
明治七年 1874 公園となる
明治十年 1877 二之丸、三之丸に兵営
明治十九年 1886 お城山も陸軍の管轄下に入り公園閉鎖
明治四十三年 1910 公園再設置、登山許可
大正十二年 1923 お城山を大蔵省から久松家へ3万円で縁故払下げ
久松家は、4万円の維持費とともに松山市に寄付。公園となる。
昭和八年 1933 放火により小天守・南北隅櫓・多門櫓・回廊を焼失
昭和二十年 1945 空襲で天神櫓・馬具櫓・太鼓櫓・巽櫓・乾門・乾門東続櫓・太鼓門・太鼓門続櫓・太鼓門西塀を焼失
昭和二十四年 1949 放火により筒井門・筒井門東続櫓・筒井門西続櫓焼失
昭和三十年 1955 松山城ロープウエイ開業
昭和三十三年 1958 馬具櫓を復元(鉄筋コンクリート)
昭和四十一年 1966 リフト完成
昭和四十三年 1968 小天守・南北隅櫓・多門櫓・十間廊下を復元(木造)
昭和四十六年 1971 筒井門を復元(木造)
昭和四十七年 1972 太鼓門を復元(木造)
昭和四十八年 1973 太鼓櫓を復元(木造)
昭和五十四年 1979 天神櫓を復元(木造)
昭和五十七年 1982 乾門・乾門東続櫓を復元(木造)
昭和六十一年 1986 艮門・艮門東続櫓・巽櫓復元(木造)
平成二年 1990 太鼓門西塀を復元(木造)
平成四年 1992 二之丸史跡庭園開園
平成二十五年 2013 二之丸史跡庭園が“恋人の聖地”に認定される。